2022/04/08 17:16



19歳のベトガーはアウグスト2世に誘拐され、他の錬金術師の監視のもと、金を作る仕事をさせられましたが、成功することはありませんでした。しかしながら、磁器の製造方法を研究していたTschirnhaus伯爵(チルンハウス伯爵)との共同作業を命じられると、彼らはまずJaspisporzellanとよばれる赤い磁器を制作に成功し、その後ついに、白い磁器の製法を確立しました。残念なことに、チルンハウス伯爵は1708年に亡くなりましたが、ベトガーは引き続き磁器の研究を続け、 翌年には磁器のための釉薬を発明しました。



1710年1月に彼は磁器の製造方法を確立し、ヨーロッパで最初の磁器工場(王立ザクセン磁器工場)をドレスデンに開設しました。ベトガーは1714年に釈放されましたが、磁器の製造法を他に漏らすことは許されず、国を離れることも許可されませんでした。



それから数か月後、彼は生産拠点を北西にあるマイセンに移しましたが、アウグスト2世による補助金に依存していたため、財政的に自立できませんでした。賢者の石の研究についても国王から要求されており、度重なるストレスから酒浸りになり、 1719年にドレスデンの自宅で家族に看取られながら37歳という若さでその生涯を終えました。



ベトガーが工場を建設したマイセンの街は、次の世紀に世界的に有名になりました。磁器の製造方法は始めこそ国家機密でしたが、後にヨーロッパ各地へ急速に広まりました。そしてそれが現代のヨーロッパ磁器の多くの礎となったのです。